ネガティブな自分を変えたくなったら、こうしよう

照れ屋さん?

ポジティブ屋さん?

それとも、ネガティブ屋さん?


ネガティブ屋さんって、恐怖を売りにしてるお化け屋敷みたいなもので

 

お化け屋敷は 怖いもの見たさだったり、怖がりたい気分の人が行くところだから

もちろん怖がらせるのがネガティブ屋さんのお仕事。

 

ネガティブ屋さんは怖がらせるのがお仕事だから、
そのように振る舞っているだけ。

 

ネガティブな人や自分を変えようとすることは、

お化け屋敷の人に


「すいません、私こういうの怖いのでお店閉めてください」
っていっているようなもの。


「いやいや、こっちも仕事なんで〜!好きでやってる商売とやかく言われる筋合いないよ。 来たくない人は来ないでちょうだいね〜」

って言われるとおもうの。


恐怖を感じた時は、よーく見つめてみると
もしかしたら自分の中のネガティブ屋さんを発見した時かもしれない。

 

そんな時の一言は


「おはようございます。今日も元気に営業してますね!」

 

 

そして、ポジティブ屋さんにも入る選択肢が自分にはあることに気付きましょう。

 

入るか、入らないかは、

 

あたし次第!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

インナーチャイルドの叫び

 

さっきの、父親に言ってもらいたいことのやつで、

 

言ってもらいたいことより

 

言ってやりたいことのほうが

 

止まらない(^^;)

 

 

 

とりあえず今は

 

 

「いらねーーーーいらねーーいらねーーー!!」

 

「ウザイ、ウザイ、ウザイ、ウザイ、♾」

 

 

これを気が済むまで言いまくる。

 

 

親に言ってもらいたいことで、インナーチャイルドの状態がわかる

 

母親との関係は

だいぶ整理がついてきている

 

自分がACなのは母親の影響だと

すぐに分かったから

 

19歳からカウンセリングやセラピーなどで出来る限り取り組んできた

 

私の場合は、インナーチャイルドとの信頼関係を取り戻すのにかなりの時間が必要だった

 

インナーチャイルド癒しましょう

→紙に書き出しましょう

→さあ、自分のあの時の本音がみえましたね、

癒されてよかったですね。

ちゃんちゃん!

 

そんな教科書通りにいくかっつーのっっ。

 

 

何度もグレそうだった、ていうか、、

 

グレたけど(^^;)

 

それでも、コツコツ取り組んできた。

 

 

母親に言ってもらいたいことは前向きだった。

 

 

「あんたは大丈夫!

だってあんたなんだから、どんな時も大丈夫!

それにお母さんの子どもなんだから、

お母さんはすごいんだから!

あんたは大丈夫だよ!

好きなことしなさい。大丈夫だから。」

 

 

 

じんわりと目頭が熱くなり、胸も暖かくなる感じ。

 

 

よかった。

 

 

 

 

ちょっと、、問題は父親だ。

 

 

父親のことはけっこう前にあきらめてた。

 

あきらめるしかないと思って言い聞かせてた。

 

 

だから今さら言って欲しい言葉なんてないなぁ。

 

と思っていた。

 

 

でも、よくよく考えるとおかしい。

 

 

あたかも

 

「いーもん、べつにいーもん!」

 

 

とすねてるかのようだ。

 

 

 

 

そしたらさ、荒れてたよね。

 

 

こんなに。。。

 

 

でも、こんなに素直に言えるようになったんだ。

 

すごいな、がんばったな自分。

 

 

 

お父さんに言ってもらいたいこと

 

死んでお詫びします。

本当に申し訳ありませんでした。

 

そのくらいの気持ちで謝罪して欲しい。

 

逆に、死ねば許されるなんて甘いから。
死なせてあげない。

 

自由を奪ったこと

人としての尊厳を踏みにじったこと

私を使って愛情の埋め合わせをしようとしたこと

 

愛情を奪ってゴミ箱に捨てるくせに、
もっともっとと限りなく奪おうとしたこと

私に罪を背負わせたこと

 

私の真の価値に気付かなくて
申し訳ありませんでした。


謝罪しろ。


そんな安っぽい土下座なんかじゃなくて


返してよ


あたしの35年間!!

 

 

 

 

...は、激しい。 ・°°・(>_<)・°°・。

 

 

 

蟹座新月の後押しで、こんなに浮上するとは

 

 

 

癒し、飛躍するチャンスにちがいない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

親・家族についての癒し

 

またまたHSPと関係ないけど

自分にとって大事な内容

 

 

 

記憶のある3才前後から母親がなくなる29才までに繰り返し言われてきた言葉。

 

繰り返しなんてもんじゃなく、

耳にタコが100匹くらいできちゃうくらい

耳なじみのある言葉だったけど。

 

 

今夜それを解放し、癒します。

 

 

 

言われていやな気持ちになる言葉だったんだけど

お母さんが好きだったから

その声とかなまりとか

思い出を忘れたくなかったから

 

それもあってなかなか手放したくなかったんだな

繰り返し思い出すことでお母さんを感じていたかったっていうのもちょっとある。

 

解放して癒したからといって

思い出がなくなるわけじゃないから大丈夫。

 

考えたら当たり前のことなんだけどね。

 

普段から思い出さなくなる=それはつまり忘れるってことだみたいになってたけど

 

もう流石に、忘れていいし

思い出さなくなってもいいって気持ちになってきた

 

 

 

「おめさんは うんどうだめだがらべんきょうがんばれよ。

もっときびきびうごぎなさい。

あんたのごどはぁこんなにかんがえでんのはお母さんすかいねんだがらな。

みんな自分のごどばりかわいいんだがら、あんたのごどなんかかんがえでけねんだからすー。

よそのうぢのおとうさんなんか、もっとおっかねんだがらな。おめさんのおとうさんはほんとにやさしんだからかんしゃしなさいー。

あんたはお母さんの分身なんだがら

あんたをうんだのはこのわだしなんだから

あんたはおかあさんのものなんだがら

そんなんじゃだめなんだぞ

なさげねなー

へなちょこだな ずいぶん

なんたらはずがす おめさんよー

いっこそれでぇはわがんねんだよ

いっこだめだなー

どうせわたしなんていなければいいとおもってるんでしょ あたしがあんたのごどをこんなふうにそだてでしまったのおー号泣

なんでいっしょうけんめいそだてだのにあんたはこんなになってしまったのー号泣

そだてがだまぢがったのー号泣

そんなふうにうんでしまってごめんなさいー号泣

あんたがしあわせになれないのはおかあさんのせいだあー号泣

おかあさんとどもだぢどっちがだいじなのや

かぞぐなんだがら たすけあってささえあっていぐべし かぞぐなんだがら」

 

 

全部言われていやな気持ちだったよ。

そんなに度々泣かれたらけっこー精神的にキマス。

 

あと、なぞの幸せにならない決めつけはやめてください。

自分で幸せになる方法を考えて生きていきます。

私の人生です。

 

 

 

お母さん、うらやましかったんだね、

じいちゃんかなりこわいから。お母さんもこわかったんだね。

だから、私たち兄妹に毎日のように言って憂さ晴らししてたんだね。

今頃気づいたけど、もっと早く察してあげれたらよかったな。

 

お母さん、さみしかったんだね、こわかったんだね。愛されたかったんだね。

 

子供から愛情をもらおうと、必死だったお母さん。

 

 

でも、ほんとうに欲しいのはそれじゃなかったから

 

 

私がいくらお母さんに寄り添っても

安心させようと自分を捨てて言いなりになってがんばっても

 

私がお母さんを満たしてあげることはできなかったんだね。

 

 

私は、罪悪感と無力感を抱えて育ったけど、

 

もうこれからの私には必要ないから、捨てちゃうね。

 

 

やっぱりつい謝ってしまうよ。

 

 

ごめんね、お母さん。

 

ごめんね、お父さん。

 

いっぱい期待してくれてたのに

幸せにしてあげられなくて。

 

 

 

私は自分が心から望む生き方をしたい。

 

 

 

なににも縛られずに 

自由に 

誰とも比べず

 

 

自分が心から感じる喜びを追求していくことを決意します。

 

 

みーよ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自尊心を高めるステップ

 

HSPと直接関係ないんだけども

これはメモしておきたいから書いておく

 

 

私にとって、自尊心を高めるって、一言で言うほどに簡単じゃなかった

 

 

「簡単って思えば簡単になるんだからぁ〜、あなたの思いこみが難しくしてるだけなのおー」「悩んでるひとは悩みたいから悩んでるのおー」ていう

自己啓発系スピリチュアル本をちょっとかじっただけの押しつけてくるタイプの人には、もううんざりだった。

 

 

あ、あと「あなたが生まれてくる前に自分で決めてきたことなのおー」にも以下同文。

 

 

 

なんでこんなにうんざりかというと、、、

 

 

若かりし10代の私は、その手の本やらセラピーやらの影響で、完全に間に受けた対応を自分自身にしてしまっていたからだ。

 

 

それらの言葉がけして間違いなのではない。

 

 

 

私自身が、自分に対する対応を間違えただけなのだ。

 

 

 

ごめん、自分。  

 

 

 

 

何度も何度も自己対話やヒーリングを繰り返して、

すごく変われて今までで今が一番快適に暮らせてる。

毎日のように思う。

あの頃の私じゃこんな毎日送れなかったって。

 

何度も何度も挫けそうになっても願ってくれて

あきらめずに頑張ってくれてありがとうって

思ってるよ。

 

 

 

そして今日、インナーチャイルドからのメッセージに胸をうたれた。

 

やっと今日、深く理解することができた。

 

 

☆自分がやりたいから、やる。

☆自分で自分を肯定する

☆自分の責任で決める

 

この言葉をきくと

体がギュッて緊張してしまう理由。

 

 

「なんでいまさらやりたいことやれなんていうの?

いままでさんざんふみにじってきたくせに、なにがもくてき?わたしをどうしようっていうの?

またわたしをコントロールしようとしてるんじゃないの?

ほんとうのわたしにかちをみいだしてないじゃない。そんなひとになにがわかるの?あなたにわたしのかちがわかる?

わたしのかちをりかいしないひとなんて、

だいっきらい!!!!」

 

 

インナーチャイルドがこんなにも警戒して怯えていた。

この言葉を紙に書いたときは怒りがこみ上げてきたけど、

今思えば必死に抵抗する野良猫みたいな怒りだった。

 

 

 

やりたいことがあること。

食べたいものがあること。

好きな音楽があること。

好きな人がいること

 

ただ、散歩に出たいだけ。

ただ、横になりたいだけ。

 

ただ、息を吸いたいだけ。

 

 

自分が考えたこと

ふと思い感じることに

価値を感じ、尊重しながら生きていくこと

 

 

これは感覚の問題。

 

理屈で理解したからってできるもんじゃない。

 

 

きっと、あたりまえのひとには

あたりまえのこと。

 

 

 

あたりまえにできなかった経験があるから、

 

その価値を何倍も何倍もわかるようになれるのかもしれない。

 

 

 

きっと、これまで以上に愛おしい毎日のはじまりかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「狭く浅く」

 

いただいたコメントで、ネタを思いつきました!

 

 

交友関係は無理せず「狭く深く」

 

友達なんて片手で数えるくらいで十分だよ。

 

耳にするたび、

 

胸がチクリ、、、と痛んでいた

 

 

 

私のこれまでの交友関係は「狭く浅く」。

 

 

 

友達や彼氏を基本的に自分の部屋に入れない

 

自分の本当に好きな音楽も教えない

 

 

誰も入れないようにしよう

 

教えないようにしよう

 

そう決めた覚えはなかったんだけど、

 

 

部屋に入れたい

 

教えたい

 

と思える人がいなかったから、思い返したらなんかそうなってたって感じ。

 

 

もしかしたら、世の中の多くの人はこういう人を寂しい人だって思うのかな?

 

って考えたこともあるけれど、

 

 

うーん、やっぱり、、

 

入れたくないなぁ。

 

 

いまのところ

 

突然、部屋に来られて入っていいのは妹だけ。

 

突然来るような妹じゃないけど!笑

 

 

こんなわたしでも一応「狭く深く」願望はあるから、

いつかそんな日が来ることを願ってる…☆